レボルの歴史①黎明期・美容業界に革命を!

2020/08/08

担当 / 取締役 中村 文男  

「温故知新」2,500年前に孔子が語った論語の中に出てきます。ご存じの方も多いと思いますが、『故きを尋ねて、新しきを知る』と読みます。
レボルは社歴が30年になりました。
長くお付き合いいただいているサロン様、また最近お取引をはじめていただいたサロン様とも、レボルの歴史をお伝えしたいと思います。

 
目次————————
(1) レボル創業前
(2) ディーラーとして実践トレーニングセンター開設
(3) レボル創業とカラー会員
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(1)レボル創業前

 
(前レボル会長)橋口が創業した株式会社アイテムで、1986年10月に当時としては画期的なトリートメントパーマのO社システムを販売し始めたのが美容業界に本格的に関わる始まりです。
 
当時は橋口が一人で販売しておりました。半年後の1987年3月にEさんと私が入社して3人体制での営業になりました。
 
諸々の事情で会社には資金が無く、全て現金前払いの取引でした。橋口の口癖は『美容業界を変革して自社ビルを建てる!』でした。
 
先日、日本電産の永守会長がテレビに出ておられました。創業時の会社はプレハブ小屋で、創業者の永守さんが3人の社員の前で、『50年後は1兆円企業になる!』と言っていた事が取り上げられていました。実際には40年後に1兆円企業になり、今は1兆5,000億円企業になっておられます。
 
我社はプレハブ小屋などの事務所さえも無く、3日に一度ファミリーレストランで落ち合って業務報告をしていましたので、この部分は日本電産よりも低いところからのスタートでした。(笑)
 
私は『自社ビルよりも先ずは事務所を借りて下さい!』とお願いしていました。1年間でOシステム導入店が108になり、基盤を築くことが出来ました。
 
橋口はディーラーでありながら、Oシステム以外は全く取り扱わない、ドラッカーの提唱する“選択と集中”で徹底的にOシステム拡販に邁進しました。
 
 

(2)実践トレーニングセンター開設

 
1989年にOシステムのディーラーでありながら、サロン様のスタッフ育成や使用方法のフォローの必要性を痛感していたので、モニターさんを200人募り、日本で唯一の実践型トレーニングセンターを西川口に開設しました。
 
導入店のスタッフ育成やアフターフォローに力を入れたことにより、売上が飛躍的に伸びました。また、他業界の方から進められたオゾン機をモニターさんに試したところ、パーマの時間短縮と仕上がりが良かったので、Oシステムにオゾン機を組み込む事を始めました。
 

 
 

(3)レボル創業とカラー会員

 
1990年になりお取引サロン様は順調に増えましたが、メーカーのO社との美容業界に対する考え方に相違点が多く出てきました。既にインストラクターが7人、社員が合計15人になっていました。
 
幸いにトレーニングセンターの200人のモニターさんは、パーマ剤や処理剤、ヘアケア剤の薬液開発に多大なる協力を頂けて、10ヶ月の試行錯誤の末、1991年1月にメーカーとしてスタートすることになりました。
 
社名は、私が10個ほど候補を出して、その中から【美容業界に革命を!】REVOLUTIONからレボルとしました。
 
橋口は年間カラー料金が定額サービスの、今でいうサブスクを、1,985年頃から、サロン様の集客と固定化の為に考案していました。
 
このカラー会員システムがOシステムさらに、レボルシステムと大変相性が良く、繁盛サロンが増えると口コミで導入サロンが増える、そしてディーラーさんからの問い合わせで契約頂くという好循環になりました。
 
当初は関東近県での活動でしたが、九州地方や中国地方や関西地方にも広がりました。それに伴いインストラクターが15人を越えていました。
 
パーマに特化していて、アフターフォローがしっかりしていることで、更に新しいディーラー様との契約も増えました。トレーニングセンター勤務と各地のサロン様の出張フォローに頑張っているインストラクターからは、自分達の直営美容室を欲しいとの機運が高まりました。
 

 
1997年に直営店の1号店となる美容室コモドが開業し、レボルの成長期に入りますが、それは次回に書かせて頂きます。
 
 
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